それは、グアムの歴史を語る地区、首都ハガニアのラッテストーン公園で見ることができます。スペインやアメリカ、日本統治時代の遺跡が数多く残る中、チャモロ文化の象徴されている遺跡があります。ラッテストーン公園です。
紀元前900年から1700年のラッテ期に造られたとされる珊瑚石の建造物、ラッテストーン。高さ 1.5m 前後のコケシ状の石の柱の部分は「ハリギ」、その上に乗っているお椀のような直径約50~60cmの部分は「タサ」と呼ばれています。今日のラッテストーン公園にあるものは、1955年から1956年にかけて南部のフェナ湖か8基移設されたものです。
1600年代後半のスペインによるマリアナ諸島の侵略及びスペイン・チャモロ戦争により、古代チャモロ文化が途絶えてしまったため明確な理由は判明していません。可能性として祭祀場などの宗教施設や、遺跡を掘ると人骨が出てくることから墓石との説などがあります。現在は高床式建造物の土台説が有力であるとして、定説になっています。
しかし、その有力説に疑問の声を上げる学者もいます。レガスピ探険艦体の記録によるとお椀型の「タサ」の記録が無い上に台風が多い地域が地表からかなり上の部分に床を作るはずがない、というのが主な理由のようです。
ラッテストーン公園敷地内には、大東亜戦争中に使用されていた旧日本軍の防空壕跡があります。周辺には洞窟要塞が多数あり、多くの通信機器が設置されていたり、陣地や弾薬庫として使用されていたり、さらには井戸が彫られていたところもあったといわれています。戦後、防空壕を見つけたアメリカ軍は核兵器の貯蔵庫として冷戦が終わるまで利用していました。漢字の球体と高放射線警告のマークが記されている錆びついたサインがその時代を生々しく語っています。
2003年、古代チャモロ文化の復興を目指したサントス議員が2002年に急死したことを受けてラッテストーン公園の正式名表が「アンジェロLGサントス議員ラッテ記念公園」に改名されました。