グアム島の先住民の時代、古代チャモロ時代。紀元前1500年ごろに東南アジアからカヌーに乗ってグアム島に上陸したといわれています。文字持たなかったために空白の期間の詳しい歴史は不明ですが、長距離を海路で旅した高度な航海技術を持ち、生活様式を伝える口承から考えると、高度に発達した独自の文化を持つ人々だったと考えられています。そんなチャモロ文化と食事は、チャモロビレッジで体験できます。ハガニア観光の一休みにぴったりです。
平和な時代もヨーロッパの大航海時代と帝国主義の到来によって終わりの足音が近づいてきます。1521年3月6日、世界一周航海中のマゼラン隊がマリアナ諸島を「発見。」ウマタッカにマゼラン記念碑が立っているのはこのことからです。その後の1565年、レガスピの遠征隊がグアムをスペイン領に編入して統治を宣言。さらに1668年になると、宣教師団がハガニアに拠点をおいてキリスト教を広めました。
ところが1672年、いよいよ歯車が本格的に狂い始めます。チャモロ古来の習俗を矯正し、キリスト教の教義を強要する宣教師団の一人、サンピトレス神父の布教活動は酋長たちとの間に軋轢を生みます。タモンの大酋長、マタパンが我が子にカトリックの洗礼を受けさせることを嫌い、反逆罪としてサンピトレス神父を殺害。これがきっかけでスペイン・チャモロ戦争が没発し、1695年まで続きます。戦争とその後も続いた弾圧によりチャモロ人の人口は著しく減少。先史の言語と文化は途絶えます。現在のチャモロ語と文化は、スペインの影響が色濃いのです。
大首長キプハ像、スペイン広場とスペイン橋、ハガニア大聖堂と聖母マリア大聖堂、現在はハガニアの町が一望できるアプガン砦などの遺跡をグアム島に築いた333年に及ぶスペイン統治は、1898年のスペインアメリカ戦争でアメリカの勝利によって終焉、第一次アメリカ統治時代に移ります。ドゥンカハウスのハガニア歴史地区、ルハンハウスがこのころの建造物。現在の米国準州に編入されている時代は、第二次米統治時代です。
二つのアメリカ統治時代の間に約2年半の日本統治時代があります。1941年12月10日から1944年7月までは、「大宮島」と呼ばれていました。ハガニアのみならず、島各所にトーチカ(射撃陣地)があります。さらに、ラッテストーン公園には防空壕もあります。
グアムと戦争については、グアム太平洋戦争国立歴史博物館で展示物と合わせて詳しく解説されています。
グアムの過去と現在をつなぐ歴史地区、ハガニア。タモンビーチの開発が進む前は、日本からの観光客が多く訪れた場所なのです。娯楽ばかりを追い求めず、教養を深める機会を十二分に生かすグアム旅行にしてみてはいかがでしょう。
アクセス: ハガニアとタモン、タムニングの間をシャトルバスが運行している。ただ、あまり便が多くないので往復の時間を事前にチェックしておくことをおすすめする。ハガニア歴史地区をぐるっと回るのであれば、およそ一時間は見積もっておくと安心。