英雄少年の記念碑は、チャプルテペック城の攻防戦で没した軍士官候補生たちに捧げられた像です。当時は、1846 年にメキシコを侵攻した米軍に抵抗する最後の主要な軍事基地として、この城が使われていました。時のアメリカ大統領ジェームズ ポークによって引き起こされたアメリカ メキシコ戦争のひとつがここで繰り広げられたのです。壮大な 6 本の円柱を見上げ、この歴史的な戦いについて調べてみましょう。
アメリカは、各州が次々と独立し、軍事的資源が限られて弱体化したメキシコを相手に、この戦争を開始しました。米軍は迅速にメキシコに侵攻し、ブエナ ビスタとベラクルスを攻略。南下を続け、メキシコ シティの最高地点、チャプルテペックの丘を包囲したのです。これは、1847 年 9 月 13 日の決定的な戦いまで継続されました。記念碑の近くにある国立歴史博物館では、この出来事を伝える絵画と資料を見学することができます。
チャプルテペック城は当時、士官学校として使用されていました。軍士官候補生たちは全力を尽くして米軍に抵抗し、勇敢に戦いましたが、充実した装備と豊富な経験を有する兵士たちを相手に敗れてしまいました。戦いの末期には若い士官候補生の一人が、米軍によってメキシコの旗が奪取されないよう自分の身体を旗で包み、城の頂上から身を投げたと言われています。士官学校の英雄 6 人に捧げる記念碑を見上げてみてください。彼らは皆、わずか 13 ~ 17 歳でした。そのためこの記念碑は、同戦争で先史した多くの「英雄少年」たちを祀っています。
チャプルテペック城でメキシコが敗戦してから数か月後に両国はグアダルーペ イダルゴ条約に調印し、戦争は終結を迎えました。メキシコは多くの領土を失い、現在の南カリフォルニアやニュー メキシコ州がアメリカに帰属することとなったのです。これらの地域がメキシコ領からアメリカ領に移行した時代に思いを馳せてみましょう。
荘厳な英雄少年の記念碑は、地下鉄チャプルテペック駅の近くのチャプルテペック公園入り口にあります。このエリアは火曜日から日曜日の早朝から夕方まで公開されています。公園内のチャプルテペック城に併設されている国立歴史博物館には、この悲劇を物語る壁画も展示されています。