皇族の住まいである皇居。通常は敷地内に入れませんが、天皇誕生日とお正月になると一般参賀が行われ、天皇皇后両陛下、皇太子同妃両殿下が長和殿ベランダから手をふられます。
現在の郵便番号100-0001千代田区千代田一丁目一番地には、かつて江戸城が建っていました。慶応4年及び明治元年の1868年、大政奉還後、間もなくして江戸城が新政府に明け渡されました。明治天皇の二度目の東京行幸の時に江戸城は「宮城」と改名され、皇城となりました。時を同じくして江戸は「東の京」として「東京」に改名。新しい時代が始まります。
これまで江戸城と皇居は、焼失と新設が繰り返されてきました。明治6年(1873年)に座所としていた江戸城西の九御殿が焼失。明治12年(1879年)に新宮殿の造営がようやく決まり、和洋折衷の明治宮殿が完成したのは明治21年(1888年)。しかし、これは第二次世界大戦終戦目前の昭和20年(1945年)5月に空襲の飛び火で焼失してしまいます。
今日のものは昭和43年(1968年)に完成し、翌年から住み始めたものです。それまでは宮内庁方舎3階を仮の宮殿としていたこともありました。また、「皇居」との呼び名が決まったのは昭和23年(1948年)に「宮城」が廃止されてからのことです。
お堀にかかる二重橋は、お堀とともに城壁があった江戸城のころからのものです。現代建築にはない石積みが醸し出す独特の雰囲気は、撮影の被写体として人気です。
一般公開されている皇居東御苑は、日本庭園や池が心地よい雰囲気を醸し出す緑あふれた場所。官公庁やオフィス街の喧騒の中に位置しているのがうそのように思えるので静かに散歩するにはもっていこい。江戸城天守閣跡などをはじめとする過去の城の跡があり、松之廊下の石碑もあります。皇居東御苑は、毎週月曜日と金曜日は休日。当日受付可能です。
皇居外苑には、散策自由の広いエリアが幾つもあります。桜田門がある皇居前広場、北の丸公園、和田蔵噴水公園などの広場があります。
時代劇のファンなら、行幸通りを過ぎた所へ行ってみてください。皇居と、時代劇で「そのころ江戸では・・・」のようなシーンで使われるたつみやぐらが見えます。
実は太平洋(大東亜)戦争が悪化していくなか、昭和16年(1941年)に御文庫が極秘に着工されました。これは大本営の防空壕であり、昭和20年(1945年)には御文庫付属室も作られました。皇居にまつわるエピソードはたくさんありますが、その一つに広島に投下したウラン型原子力爆弾を積んだ米戦闘機エノラ ゲイ号のパイロットは、当初皇居に落とそうとしたという説があります。
郵便番号の始まりと、江戸城。この二つの共通点は、皇居だったのです。