オールドラッセルという名でも知られるオキアトは、1840 年にニュージーランドの最初の首都となりました。その翌年には政府が移動し、以来オークランドが首都となっています。今では住民の数はあまり多くはありませんが、ニュージーランドの象徴としても有名な、飛ばない鳥キーウィの安全な避難場所とされています。
オマタエステートは、入植初期から続いているブドウ園。この地域の観光はここからスタートしましょう。この辺りの土地は当初、ホブソン総督が 1840 年にオキアトを首都として指定するまで、ヨーロッパからの初期の入植者ジェームス クレンドンが所有していました。この地で活気のある交易所を運営していた人物です。大火災のために歴史あるオキアトは焼失し、町は完全に復活することはありませんでした。
荒廃したオキアトでしたが、近くのコロラレカによって次第に状況を持ち直しました。かつてはすさんだ前科者や船乗りがたどり着く場所で、”太平洋の地獄の穴”と呼ばれていたこともありました。しかしラッセルという名前で再生し、すばらしい観光地へと姿を変えました。この町自慢のレストランやアートギャラリー、ショップそして海辺のカフェを見て回りましょう。墓地のそばにあるクライストチャーチを訪れることも忘れずに。この教会はニュージーランドの建国よりも古くからある建物です。近くのポンパリエハウスを見学したら、パティスリーでパンオショコラをご賞味あれ。
アイランズ湾地域の絶景と呼ぶにふさわしい景色を見るため、徒歩かか車でフラッグスタッフヒル (テマイキ) へ向かいましょう。旗竿という意味のこの丘は、歴史的にも視覚的にも、湾を越えてワイタンギ トリティ グラウンドとつながっています。と言うのも、ワイタンギ条約によってニュージーランドがイギリスに併合され、この地にイギリスの国旗ユニオンジャックがはためいたためです。この地のマオリ族の族長は、イギリスの支配を意味するこのシンボルを嫌悪して、旗用ポールを叩き切りました。これが独立戦争のきっかけとなりました。マオリ族の重要な歴史を鑑みて、今ではここにマオリ族連合の旗が掲げられています。
ドルフィン スポッティングのクルーズやセーリングツアー、フィッシングチャーターを待つ間、子供がラッセル桟橋から飛び込む様子を眺めたり、漁師とおしゃべりしたりして楽しみましょう。帰り道にフィッシュ アンド チップスかアイスクリームを買って、波止場の近くで夕暮れ時までぶらぶらするのも楽しいものです。
ファカパラから曲がりくねったラッセルロードに沿ってこの半島アクセスすることもできますが、オプアからオキアト行きのカーフェリーに乗るか、パイヒアからラッセル行きのペデストリアンフェリーに乗った方がずっと速いでしょう。もし自前の移動手段を持たずにラッセルに着いたら、地域の史跡バスツアーに参加するか、夜にガイド付きキーウィ スポッティングツアーに参加するのがおすすめ。楽しみながら歴史あるオキアトの町を知ることができます。