聖アグネスは、ディオクレティアヌスの迫害の犠牲者と考える人もいるにせよ、デキウスやヴァレリアヌスの時代の殉教者であったと信じるに足る要素がある。
彼女はわずか12歳で亡くなった:教皇ダマスオは、聖女が身を投げたであろう杭について言及している。殉教後、小さなアグネスの遺体は、ノメンターナ通りの左側にある、彼女の家族が所有する地下墓地に安置された。
この最初の地下墓地から、崇拝される墓が挿入され、地下に広大な共同墓地ネットワークが形成される。
特に注目されたのは、教皇リベリウスの時代に大理石の板で装飾されたアグネスの墓である。そのうちの1枚は、おそらく現在オノニア・バジリカの入口階段に展示されているもので、幾何学的なモチーフの2枚のパネルの間に、祈るような姿勢の少女が描かれている。
教皇ダマスサッソはアグネスの墓に介入し、殉教者に捧げた碑文が階段に掲げられている。
ローマ人が何世紀にもわたってこの若い殉教者に注いだ深い信仰は、聖域の地表にいくつもの建物を建てることにつながった。
殉教者の埋葬地から少し離れた場所、おそらくは皇帝の所有地に、コンスタンティヌス帝の娘でアグネスの熱心な信者であったコンスタンティヌス(またはコンスタンス)の命により、アトリウムのあるローマのサーカスの形をしたバシリカが建てられた。
ホノリウス1世は、ノメンターナ通りに現在のバシリカを建設した。このバシリカは半地下式で、荘厳な階段からアクセスすることができる。
後陣のモザイク画は、中世ローマ初期のモザイク芸術の見事な証である。教会の模型を手にした教皇ホノリウスと、おそらく教皇シンマコスの間にいるアグネスを表している。